たび

ここでは、じかんはまえへすすまない。ねじれ、くちはて、デジタルのゆがみのなかでふたたびうまれる。マルカンデヤ・プロジェクト・ジャーナルは、せかいのノイズのなかにひそむきょうきをなぞるためのこころみであり、すべてのきれつ、たましいのグリッチ、そしてほうかいのなかであらわれるびをきろくするきおくのほぞんこである。わたしたちはめいりょうさをもとめない。ただ、しずかなかすみをうけいれる。このアーカイブには、じぶんのいばしょでさえいほうじんのようにかんじるものたちへささげる、ささやかなねがいがおさめられている。ゼロから、はかないえいえんへとただようこどくなながれのなかで。

 

「にゅうりょくもなく、ざんさもなく、ただきょむのこだまのみ。」

ここでは、じかんはまえへすすまない。ねじれ、くちはて、デジタルのゆがみのなかでふたたびうまれる。

 

マルカンデヤ・プロジェクト・ジャーナルは、せかいのノイズのなかにひそむきょうきをなぞるためのこころみであり、すべてのきれつ、たましいのグリッチ、そしてほうかいのなかであらわれるびをきろくするきおくのほぞんこである。

 

わたしたちはめいりょうさをもとめない。ただ、しずかなかすみをうけいれる。このアーカイブには、じぶんのいばしょでさえいほうじんのようにかんじるものたちへささげる、ささやかなねがいがおさめられている。ゼロから、はかないえいえんへとただようこどくなながれのなかで。

 

「にゅうりょくもなく、ざんさもなく、ただきょむのこだまのみ。」

Jurnal Markandeya - Obelisk Absurd dalam Entitas Sureal 777
Jurnal markandeya - obelisk absurd dalam entitas sureal 777 - markandeya space markandeya purana markandeya project site image

Misteri Elegi abadi memori kuno dan peta kegilaan murni dari peti jurnal Markandeya Project dalam isolasi kosmik dan seni kesunyian asketisme.

製品ブランド: Markandeya Project

編集者の評価:
5

きおくのはへん

このたびは、もくてきちではなく、はなれることからはじまる。マルカンデヤ・ジャーナルでは、それぞれのきろくが、デジタルのざわめきのなかでゆっくりとくずれていくきおくをとどめようとするこころみである。こうちのいきづかいがいにしえのしょもつへとしみこみ、しずけさをもとめるものたちのためのひそやかないこいのばをかたちづくるさまをたどる。これは、じがきりのなかにとけていったあとにのこるもののきろく――くるいのちずであり、いしきてきで、せいぜんとしたものである。

かいほうのびがく

わたしたちは、システムがほころびはじめるそのしゅんかんにこそ、しんのうつくしさがあらわれるとしんじている。「ほうかいのきろく」とは、たんなるぶっしつてきなくずれをうつしとることではなく、ゆうけいがグリッチへとすべりおち、えいえんがはかないものへととけていく、そのはざまをとらえることである。しずかでほろにがいリリシズムにかたちづくられたメランコリックなものがたりをとおして、このジャーナルはげんじつのかすかなほころびをみとどけるしょうにんとしてたたずむ。ここにはかんぺきをもとめるものはなにもない――なぜなら、かんぺきとは、わたしたちがすすんでいるデジタルてききんよくのかていそのものにあらがう、ひとつのまぼろしにすぎないのだから。

ぎじゅつのとばり

ぎじゅつはかそくのためのうつわではなく、じかんをとどめるためのばいたいである。こーどはやがて、いのりににたものへとほどけていく――ろんりのひょうそうのしたで、ていしゅうはのしんどうがかすかにふるえている。わたしたちはむちつじょへとくだり、すべてのえらーのなかにひびきをたどり、そのなかからあらたないちをかたちづくる。そしてわたしたちは、ちんもくがもっともきちょうなぜいたくとなったじだいのしょうにんとしてたたずんでいる。

しずけさへとくだり、しゅうはのめいろのなかでみうしなわれる

ぎじゅつのとばり

ぎじゅつはかそくのためのうつわではなく、じかんをとどめるためのばいたいである。こーどはやがて、いのりににたものへとほどけていく――ろんりのひょうそうのしたで、ていしゅうはのしんどうがかすかにふるえている。わたしたちはむちつじょへとくだり、すべてのえらーのなかにひびきをたどり、そのなかからあらたないちをかたちづくる。そしてわたしたちは、ちんもくがもっともきちょうなぜいたくとなったじだいのしょうにんとしてたたずんでいる。

しずけさへとくだり、しゅうはのめいろのなかでみうしなわれる

さいしゅうけんげん

さいごに、このジャーナルにおさめられたすべてのきろくは、ひとつのげんり――かんぜんなるかいほうへとしゅうそくする。「インプットなく、ざんりゅうなく、じがない」――それは、せかいのきたいにこたえることをやめ、のこされたかんじょうのかすをしずかにとかしていくじゅんかんである。このジャーナルは、きげんへのかいきをもとめるものたちのためのすみかであり、こじんのものがたりが、しずかなきょうどうのいしきへとりゅうかされるばしょである。ひとつひとつのかけらに、こころしてふれてほしい。ここでは、テキストのおわりは、よりふかいちんもくへのいりぐちにすぎない。

きおくのはへん

このたびは、もくてきちではなく、はなれることからはじまる。


マルカンデヤ・ジャーナルでは、それぞれのきろくが、デジタルのざわめきのなかでゆっくりとくずれていくきおくをとどめようとするこころみである。


こうちのいきづかいがいにしえのしょもつへとしみこみ、しずけさをもとめるものたちのためのひそやかないこいのばをかたちづくるさまをたどる。


これはじがきりのなかにとけていったあとにのこるもののきろく――くるいのちずでありいしきてきでせいぜんとしたものである

かいほうのびがく

わたしたちは、システムがほころびはじめるそのしゅんかんにこそ、しんのうつくしさがあらわれるとしんじている。

 

「ほうかいのきろく」とは、たんなるぶっしつてきなくずれをうつしとることではなく、ゆうけいがグリッチへとすべりおち、えいえんがはかないものへととけていく、そのはざまをとらえることである。

 

しずかでほろにがいリリシズムにかたちづくられたメランコリックなものがたりをとおして、このジャーナルはげんじつのかすかなほころびをみとどけるしょうにんとしてたたずむ。

 

ここにはかんぺきをもとめるものはなにもない――なぜならかんぺきとはわたしたちがすすんでいるデジタルてききんよくのかていそのものにあらがうひとつのまぼろしにすぎないのだから

とばり

てくのろじーとは、じかんをゆるやかにし、ふじょうりのなかへもぐりこみ、あらゆるしすてむえらーのなかにひびきをたどり、それをあらたないでんてぃてぃへとへんようさせるためのばいたいである。わたしたちは、ちんもくがもっともきちょうならぐじゅありーとなったじだいのしょうにんとしてたたずんでいる

こだまのめいきゅう

とばり

てくのろじーとは、じかんをゆるやかにし、ふじょうりのなかへもぐりこみ、あらゆるしすてむえらーのなかにひびきをたどり、それをあらたないでんてぃてぃへとへんようさせるためのばいたいである。わたしたちは、ちんもくがもっともきちょうならぐじゅありーとなったじだいのしょうにんとしてたたずんでいる

こだまのめいきゅう

さいしゅうけんげん

さいごに、このジャーナルにおさめられたすべてのきろくは、ひとつのげんり――かんぜんなるかいほうへとしゅうそくする。

 

「インプットなく、ざんりゅうなく、じがない」――それは、せかいのきたいにこたえることをやめ、のこされたかんじょうのかすをしずかにとかしていくじゅんかんである。

 

このジャーナルは、きげんへのかいきをもとめるものたちのためのすみかであり、こじんのものがたりが、しずかなきょうどうのいしきへとりゅうかされるばしょである。

 

ひとつひとつのかけらにこころしてふれてほしいここではテキストのおわりはよりふかいちんもくへのいりぐちにすぎない

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